一年、経ちましたね。
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
去年の今頃、確かカラーを上げた直後かそんなだったと思います。
「非日常な彼女」というテーマで描かせて頂いた緊縛絵みたいな奴。月刊!スピリッツに載せて頂きました。
その原稿引き渡しの日、そろそろ出かける準備するかなーと思った矢先・・・
二階の仕事場にて強い揺れを感じました。
前の家は結構古い家屋でしたのではじめは揺れてると言ってもまあ普通よりは揺れる家だし・・・と、余裕をかましていたところ、あまりに揺れが激しくなってきたのでトイレに避難(笑)
そしたら!
窓が平行四辺形に歪んでる!動いてる!
この瞬間、「引っ越す!もし生きていたら・・・」
と一瞬思った。
暫くして揺れが小さくなった頃、とりあえず状況が知りたくてテレビをつけたとき、あの太平洋の沿岸の真っ赤な線が・・・津波警報・・・
家に電話してもなかなか通じなくて、ようやくつながって両親の安否を確認。
そのときの父の言葉「おまえ、今日はどこにも行かん方がええぞ。これはヤバイ」
それからのニュースの映像なんかがすごくてとてもじゃないけど時系列では覚えていない。
後は皆さんご存じの通りの惨状。
あの辺に住んでいる友達への連絡とか、もう慌ただしいこと・・・
原発事故も・・・
父の言葉の通り、首都圏の交通網は麻痺。私の場合家での仕事だったのが幸いしたのか。
帰宅難民にはならずに済んだ。
何人かの担当さんから安否確認を頂いた。
友達とも連絡を取り合うにもケータイが通じないのでどうしようもない。
中にはツイッターで連絡下さる方もいて、確かそれでツイッターの評判が一気に上がったような気がする。
結局、その日あった打ち合わせはお流れ。翌日にバイク便を飛ばして頂き入稿。
仕事の方も結局予定通りには行かず・・・・
交通がまだ復旧していなかったのもあって、アシさん達に連絡して一週間後らせた。
私自身、しばし仕事に手が付かなかった。
割と逆境には強いと思っていたけど、机に向かって絵を描こうとしても、全然集中できない。
キャラクター達に表情がない!
苛立つ私。
「なにやってんだろう、私・・・」みたいな感じ。
私なんかよりももっと大変な思いをされた同業の方も多いと思う。
ちなみに、地震当日の朝・・・
古い家なので元々立て付けが悪かったせいか、ドアがなかなか閉まらなかったりしたのが、地震の直後直ってたというオチ付き。
数日後の強風でアンテナがベランダに落ちてきたとき、私は引っ越しを決意した。
これが私の地震の記憶。
あれから一年経って、でも何とか生きて仕事してる。
いろんな思いがわき上がってくるけど、ひとまずここまで。
最後までこんな駄文につきあって下さった方、有り難うございましたm(__)m
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